越後新潟の土産品販売
2026.2 更新


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   【 三角だるまについて・参考資料等 】


三角だるまがいつ頃から作られたのかは定かでない。
良寛和尚(1758-1831年)が、当時の玩具「はりころがし(三角だるま)」の絵に
賛を書いたと云われていることから古い歴史を持っているものと思われる。
発祥は柏崎地方と云われ、当時の主な産地としては柏崎・三条・加茂松原などであった。
その系を引いたものが今町・水原山口の諸氏との記述もある。

当時の三角だるまの多くは土人形の制作者によって作られた。
これは土人形の下地として塗る胡粉(ゴフン)や、
彩色に使用する岩絵の具に必要な固着剤として膠(ニカワ)を混ぜて使用する、
その技術も必要であったと思われる。
当時の赤い顔料には鉛を含むものがあり、玩具への使用が禁止されたため
評判を落とし一時期売れなくなるようなこともあった。

また三角だるまを専業としてなりわいにする人もなく、
農家や職人等が副業として作成するような時代でもあった。


出典:「おもちゃ第2号」 全国郷土玩具友の会
(昭和29年)

新潟県三条市付近の三角だるまについての記述



全国のだるま玩具製作者一覧表

一覧表には85名の名簿が掲載されている
新潟県内は廃絶や休止中の製作者が多く
記載されているのは 丸山(みなと人形)のみ
出典:「おもちゃ第29号」全国郷土玩具友の会
(昭和32年)

郷土玩具研究家の川口栄三氏による説明
廃絶後復活した加茂市・水原町・新潟市の三角だるまについての記述


出典:「新潟県観光土産品のしおり」新潟県・観光土産品協会
(昭和30年頃)

三角だるまは 泉屋(新潟市)、藤村人形店(柏崎市)、
今井徳四郎(水原町)が記載
表紙はみなと人形の越後獅子が使用されている


出典:「にいがたの郷土玩具」川口栄三
(昭和50年)

左から、
新潟(みなと人形)・水原(今井氏)・加茂・今町・水原(今井氏)


【 大正末期から昭和初期 】

大正末期には、三条は廃絶

製作していたのは今町の橋本政治氏、見附の石田氏、柏崎等であった。

水原の今井氏は製作を何度か中断。当時名は「こぼうし」

戦時中は殆どが廃絶または中止
戦後、民芸復興期に入る。


【 昭和20年代 】

全国的に民芸運動が活発化する中、水原の今井氏は製作を中止したままであった。
三角だるまの担い手がいない中、新潟市や柏崎市で再現、作成されるようになった。



新潟市、泉屋「越後だるま(5色の三角だるま)」(昭和60年代まで製作その後廃業)



新潟市、みなと人形「三角だるま」(昭和から現在まで顔の変遷あり)


柏崎市、藤村人形店「三角だるま」(製造時期不明)


【 昭和30年代 


水原町、今井人形店の今井徳四郎氏、山口人形・三角だるまを復活する。
徳四郎氏がデザインした三角だるまは既存の赤い達磨のイメージから脱却し、
橙と青のユーモア有る明るさから注目を集め、その名を不動のものとした。



【 平成後半から令和初期 】

      見附市今町で廃絶していた今町べと人形を地元の有志が復活させる。      

水原(現在の阿賀野市)の今井氏、何度か代替わりと休業期間を経て復活。







   【 現在の制作事業所 】

 今井人形店・阿賀野市(旧水原町) 

   今町べと人形伝承会・見附市   

  みなと人形(家内喜屋)・新潟市  







©みなと人形本舗 新潟市